生理現象は本当に“マナー違反”なのか? 〜鼻水と屁と爆速エンジニアの雑感〜
エンジニアリングの話ばかり続けていると、時に「人間らしさ」や「社会の不思議」についても考えたくなります。
今日は少しだけ、そんな“雑感”を綴ってみます。
鼻水をかむのはマナー違反?
日本の接客やビジネスマナーでは「鼻をすするな」「人前で鼻をかむな」といった指摘をよく耳にします。
実際、以前“接遇”の現場で鼻をすすることを厳しくとがめられた方がいたと聞き、私も素朴な疑問を抱きました。
「鼻水とは、生理現象ではないのか?」
花粉症の季節など、鼻水を我慢し続けることほどつらいものはありません。
鼻をすすっても怒られ、かんでも嫌がられる。
仕方なく“耐える”しかない空気――このマナーは一体、誰のためのものなのでしょうか。
では、屁はどうか?
私自身、さすがに「屁」は人前で我慢します。
職場や公共の場では、原則としてトイレの個室で済ませるよう心がけています。
しかし、どうしても我慢できないとき、周りに人がいなさそうなエレベーターなどで…ということも正直あります。
この「屁」に関しては、社会的なタブー度が高い。
音や匂いが周囲に直接“実害”をもたらすため、より強い配慮が求められるのは理解できます。
社会的グラデーションと配慮のバランス
生理現象には社会的な「グラデーション」が存在する――
鼻水やくしゃみは“少し気になる”程度でも、屁は“できれば控えてほしい”レベル。
ただ、一律に「絶対NG」と責めるよりも、「健康や事情に配慮する柔軟さ」こそが社会に必要なのではないか、と私は考えます。
ルールは「誰のため」?
マナーやルールは本来、皆が気持ちよく過ごすための“手段”であるはずです。
無理な我慢や形式だけのマナーが「誰のためでもないルール」になってしまっては本末転倒。
「屁や鼻水」を語ることも、“人間くさいエンジニア”である私の証拠だと感じています。
…というわけで、今日も爆速でコードを書きつつ、ときには鼻をかみ、人生のグラデーションについても考えている私です。