ユーザー視点という発見:開発者としての気づき
昨晩、あるフィードバックを受けて、とても勉強になった。
どれだけ開発者として「いいものができた!」と感じていても、それがユーザーの役に立たなければ意味がないという当たり前のことを、あらためて実感させられた。
たとえば自分ひとりが満足しているのであれば、それは「一人のユーザー」としての価値はある。でも、多くのユーザーに届けたいと思っているなら、それだけでは不十分なのだ。
「あ、そういう使い方もあったか」
ある方から「こういう使い方ならアリかも」と言われたとき、ハッとさせられた。
それは自分ではまったく想定していなかった使い方。でも、確かにその視点なら使えるかもしれない。
開発者の視野が狭くなりすぎていた証拠だ。
妹のひと言が突き刺さった
そして、別の場面で妹に言われたのがこの一言:
「お兄ちゃんの作るシステムって、どれも大量の文字を読ませて、大量の文字を入力させる前提だよね。でも、一般ユーザーってそんなタイプじゃないよ?」
これも図星だった。
自分は一日中PCの前にいるような人間で、文字を読むのも書くのも苦にならない。でも、それはむしろ少数派。
そう考えれば、自分の基準で設計されたUI/UXが他人にとって優しいとは限らない。いや、むしろ不親切だったのかもしれない。
既存システムからの学び
さらに昨晩、他のシステムを見て、「ああ、こんな感じのものが現場で実際に使われているのか」という発見もあった。
自分の提案システムがイマイチだったことは事実だけれど、それは大きな収穫だった。
だったら――
現行システムより良いものを自分が作ればいい。
もちろん、後発としてシェアを取るのは簡単じゃない。
でも「こっちのほうが使いやすいね」とたった1人でも2人でも言ってくれたら、それで十分意味がある。
結論:作りたいものではなく、使われるものを
小説も映画も広告も音楽も――
結局、受け手がどう感じるかがすべて。
開発だって同じこと。
「作りたいもの」ではなく、「使われるもの」を作らなければ意味がない。
気づかせてくれたすべてに、ありがとう。